ゲーリーヤマモト カスタムベイツ

GARY YAMAMOTO FISHING COLLECTION
Message from Gary Yamamoto

ゲーリー伝説
BASS WEST USA誌より抜粋

 

ゲーリーヤマモト 伝説

ゲーリーヤマモト伝説は、他の様々な伝説がそうであるように、ごく普通の人から始まります。ベトナム戦争の医療部隊としての服務期間から帰国したゲーリーヤマモトは経営管理学の学位を得ました。彼がロスでコンピューターのセールスマンとして働いていた時、ロスの雑踏は彼の幼い子供たち(二人の息子と一人の娘)を育てていくには理想的な環境ではないと感じていました。そんなときアリゾナ北部のペイジという美しいリゾートタウンについて知り、1976年にゲーリーはペイジのキャンプ場を買い、家族とそこに引越しました。ペイジは有名なダム“レイクパウエル”のほとりに位置し、人々はそこが世界で最も景色の良いバスレイクだと言います。人口8,000人ほどのこの小さな町には年間約400万人もの観光客が訪れます。ここは世界中の家族が、夏休みを楽しむために訪れる場所なのです。
そして今も尚、ゲーリーはそこを所有していて、Gary Yamamoto Custom Baits(以下GYCB)の本社はそこにあります。

ゲーリーヤマモトゲーリーは引越してからスモールマウスバス・ラージマウスバス・ストライパー・ウォールアイにクラッピー、その他いろいろな良いポイントを探しながらレイクパウエルで多くの時間を過ごしました。間もなく彼はローカルのバストーナメントに参加し始めました。そして初めて参加したトーナメントで優勝したのです。賞品は船外機でした。それに伴って最初のボートを買うことになりました。
その日から彼は一生涯のスポーツとして、釣りをこよなく愛するフィッシャーマンであり、トーナメンターである熱心なバスアングラーになりました。

ゲーリーは熱心なトーナメントアングラーとして、よりよいポイントを探し、そして最終的にはルアーにたどりつきました。市場で手に入るルアー(およそ1970年代後期)では満足いくものでないということに気づき、そこで彼は友人と数百時間に及ぶ実験をしました。ゲーリーはトーナメントでの成功はルアー(ずっと取り組んできたシンプルなシングルテールとスカートの着いたグラブ=フラグラブ)をカスタマイズする能力に掛かっていると確信しました。

ゲーリーはよりリアルな色を探しました。そして彼はカラーをカスタマイズする為のいくつかの要素を見つけました。しかし、このスペシャルオーダーの為に1色につき5000パックものカスタムカラーを買う必要がありました。彼が最初に作ったのは必要最小限の5色でした。全25,000パックのワームのうち、彼は必要な分だけキープし、残りは地元のアングラーに販売しました。彼らが試してみると、その新しいカスタムベイトはたちまちトーナメントで勝ち始めました。その噂はすぐに広まり、ゲーリーが5つの州(アリゾナ、ユタ、ネバダ、ニューメキシコ、カリフォルニア)のトーナメントアングラーに売るようになるまでそう長くはかかりませんでした。そしてGYCBの源であるTwin T’s社を手に入れる機会も間もなくやってきました。これがGYCBの始まりです。

 

 

日本バスフィッシングの創成期

Twin T’s社を手に入れると共にゲーリーは彼らの顧客データも手に入れました。そのデータのうちの2件は偶然にも日本の釣具のディストリビューター(卸売業者)でした。

GYCBがスタートして2〜3年が経つ頃、ゲーリーは4”グラブのデザインを完成させました。そして日本のその2つのディストリビューターに新製品の4”グラブを提供しました。そのうち1社は好意的にもその新製品を大量に購入してくれました。しかし彼らがそれを日本で販売するのが容易なことではないとゲーリーが気付くまでそう長くはかかりませんでした。グラブは当時の日本のアングラーには奇抜なものでした。日本のアングラーはグラブの魚を誘い出す能力や、どうセッティングするかさえも全く知りませんでした。そこでディストリビューターは返品してもよいかたずねてきたのです。

ゲーリーはそのディストリビューターが奇抜なアイデアを広げるために、リスクを背負いながらもゲーリーのために売ろうと最善を尽くしてくれたことに感謝していました。それでもゲーリーは窮地に立たされました。駆け出しのビジネスマンである彼は、アメリカに商品が戻ってくることを簡単に受け入れることが出来ませんでした。日本に大量に残っている製品に困り果ててしまいました。そこでゲーリーは日本へ出向くことを決め、どうするかは日本に着いてから考えることにしました。

彼は、その旅でバスフィッシングを愛好するスポーツフィッシング業界に打ち込んでいた二人、河辺裕和氏と山下茂氏と出会い、その結果、日本に子会社を開設することになりました。

会社を始めてから、ゲーリーは売上や広告は特定せず、会社の最も重要な目標を明らかにしました。それはGYCB製品をどう使いこなすかを教えたり、熱心な釣り人を教育する、言わば草の根促進でした。

ゲーリーヤマモトゲーリーは同僚のプロたちと一緒に、日本でのバストーナメント創立の手助けをしました。日本のバストーナメントはゲーリーがそこに行き、アングラーや組織の人々を巻き込む以前は確立していなかったのです。

ゲーリーは最新のバスボートを日本に持ち込んだ一人でもあります。20フィート+200馬力のチャンピオンバスボートを飛行機に乗せ、日本に向けて空輸しました。当時の日本のアングラーで今までにバスボートを見たことがある人は殆んどいませんでした。それはまさに本場アメリカからの最新機能バスボートの上陸でした。ちょうどその頃始まった日本のトーナメントで、ゲーリーとハイパワーのバスボートの存在感はトーナメントを華々しく盛り上げました。
さらにゲーリーは数々のイベントや週末には人気のある釣り場にバスボートを引っ張って行き、各地のアングラーにバスフィッシング、GYCB製品の使い方を広めました。

日本のバスフィッシングはその時、岸釣りと日本製の簡素で実用的な飾り気の無い12〜13フィートのボートでの釣りでした。それは今から約25年前のことです。当時日本でバスフィッシングをプロモートしているアメリカ人は、主にゲーリーの他には誰もいなかったのです。

ゲーリーのアメリカ西部でのトーナメントの成功の基本は、彼のフィネスなルアーを使った戦略を立てることでした。ゲーリーは日本のアングラーに、GYCB製品を使ったフィネスな釣りを教えました。もちろんアングラーがそのルアーで最初のバスを数匹釣り上げたなら、彼らはもうそれを手放す事は出来ません。彼らの自信と熱意は、新しいタクティクスを学び・進化させ、日本のアングラーの能力は飛躍的に上がると同時にGYCB製品は広まりました。

日本のバスフィッシングを考える時、それはたいてい日本のアングラーがフィネスフィッシングをどのように優秀な技術に発展させたかについてです。それはもうお分かりのようにゲーリーヤマモトという日本で最初にフィネスフィッシングをスタートさせる手助けをしたアメリカのアングラーのおかげとも言えます。今日までおよそ25年、ゲーリーは日本でとても有名で尊敬されている人物です。
バス釣りをするほとんどの日本人は、ゲーリーがバストーナメントやバスボートそしてバスフィッシングをスタートするのに尽力した釣り人だということを知っているでしょう。

 

 

アメリカマーケットへの進出

ゲーリーヤマモトゲーリーが日本で前述の全てのことを一旦達成した時、GYCBは次にアメリカのマーケットに目を向けました。それはおよそ2000年のことです。その時、GYCBの会社の売上げの70%が日本の市場でした。そしてそれはそう昔のことではありません。ゲーリーは日本での成功術を繰り返しながら同じように社員に製品のことやプロモーション(ルアーの使い方、釣り方を教えてアングラーを夢中にさせること)について学ばせ、その後アメリカのマーケットへ供給し始めました。

アメリカのマーケットを考える時も、ゲーリーは売上や広告については特定しませんでした。そして将来行き着く会社の最も重要な目標として草の根促進、つまり夢中なアングラーがいかにしてGYCB製品を使いこなすかを教えることであると明確にしました。ゲーリーはそれをトップレベルのトーナメントで見せるために、アメリカ全土のツアーに乗り出しました。数あるルアーメーカーの中でGYCBが他社と違うところは、雑誌(インサイドライン : 2008年にはオンライン化)や更には熱心なアングラーがどのようにしてGYCB製品をうまく使いこなすかを教える為のウィークリーニュースレター(メールマガジン)を発行していることです。たったこの8年間でこれらの努力の全てを通して、ヤマセンコーなど高く評価されるアイテムを数多く発表してきました。

それは信じられないように聞こえますが、ゲーリーヤマモトとGYCB製品は、8年未満でアメリカ全土のバスアングラーの間でも有名になりました。今日のどんなバスアングラーもゲーリーヤマモトが誰かと聞かれたらわかるくらいだと言われています。そしてGYCB製品がいかにバスフィッシング用として優れたものであるか高く評価されています。

8年前にGYCB製品は西部以外ではほとんど知られていなかった事をあなたが知った時、その凄さがわかります。8年前にはアメリカ南西部の4人に1人がバスアングラーであると言われる8つの州をみても、わずか1ダース程度しかショップで取り扱っていない状態でした。中でもフロリダはバスアングラー人口が最も多い州の1つですが、8年前はGYCB製品を扱っている店がなかったのです。ですがゲーリーヤマモトの伝説とともにGYCB製品は短期間に、全米に広がりました。

 

 

GYCB製品の開発年表

1970-1980 西部での始まり

当初1970年後半にスタートしたビジネスで、ゲーリーは1980〜1985年の間に西部のフィネススタイルの主要なスタンダードのツールを仕上げました。それらは比較的小さなサイズの4インチや5インチのシングルテール・ダブルテール・フラグラブそして西部の典型的なクリアでディープなリザーバー用のイカ(現在のイカとは異なる硬いボディーのチューブタイプルアー)です。

日本の初期

1980年代の中頃、ゲーリーは日本のフィネスフィッシングで必要とされるオリジナルルアー(カットテール等)をデザインし、日本へ旅しました。
後にこれらは日本でのスタンダードとして不動の人気を確立しました。

1990年代 メキシコでのビッグベイトデザイン

1990年代、彼はビッグバス用にビッグソフトプラスティックベイトをデザインしメキシコに進出しました。彼は大きなシングルテールグラブ(8”グラブ等)、ダブルテールグラブ(6”ダブルテール等)を、そしてメキシコのトロフィーバスを釣るためにヤマセンコーを開発しました。

    
ゲーリーヤマモトUSオープン

1995年 ゲーリーはレイクミードのUSオープンで、フットボールジグにフラスカートとダブルテールグラブなど全て自らの製品を使って優勝しました。勝利は西部の釣りに精通したゲーリーの象徴でした。そのことは彼がナショナルツアーレベルに達したことを示していました。

YAMASENKO

1990年代の中頃、主力の5”ヤマセンコーから2000年の中頃までに自分が初めて遭遇した状況や戦略に応じてゲーリーはおよそ10種類のヤマセンコーをデザイン。ゲーリーは今日もまだ新たなヤマセンコーを開発しています。例えば2008年初期にリリースされたプロセンコーなどがそうです。

2000年代 B.A.S.S.とFLWのナショナルツアー

2000年からの10年間、ゲーリーはB.A.S.S.とFLWのトップカテゴリーに参戦。最初はアメリカの北部・東部・南部の湖を釣りしました。そのほとんどが始めて釣りをするところです。そんな中、ゲーリーはそれらの頂点にあるイベント、バスマスタークラシックとFLWのチャンピオンシップの予選を通過しました。ゲーリーはこの10年間新しい地方を旅し、GYCB製品はゲーリーに伴い、行く先々の新しいショップに並ぶようになりました。西部以外のほとんどの地域ではGYCB製品が見られるのは全くと言っていいほど初めてでした。ところが今ではどうでしょう!

中部のためのミッドサイズデザイン  

中型サイズのワームは中部アメリカのためのデザインです。ゲーリーがアメリカ全土の新しい湖で釣りをして、アメリカの南部・西部・そして北部の全域で最も有効だと思われる中型サイズのモデルをいくつも開発しました。ゲーリーはB.A.S.S.とFLWのために1980年代のアメリカ西部や日本向けのフィネスモデルより少し大きく、しかし1990年代に彼がデザインしたメキシコのトロフィーサイズ用のモデルほど大きくない、ちょうど中間サイズのものが必要になりました。
そこでB.A.S.S.とFLWの成功のためにゲーリーはミッドサイズのカットテール、ミッドサイズのクロー、スイムセンコーなどを開発しました。
ゲーリーは2000年にミッドサイズルアーのラインを展開させただけでなく、B.A.S.S.とFLWツアーで訪れる地方はどこでも彼の参戦がGYCB製品を広める手助けとなりました。

 

 

新たなる伝説

それは神話ではありません。伝説を作るのは一人の男です。ゲーリーは西部に行き、地元のトーナメントで優勝しました。彼は現代のバスフィッシングの始まりを手助けした日本で初期を過ごしました。ゲーリーは自らの製品の全国的な人気を作りながらアメリカ全土で開催されるB.A.S.S.とFLWのトップカテゴリーに参戦しました。
ゲーリーは様々な土地でトーナメントをこなしながら、各地の釣り人にカリスマ的な影響を与えました。カナダでのトーナメントトリップの後、イタリア、スペイン、ポルトガル、メキシコ、ジンバブエ、南アフリカなどを訪れました。そしてゲーリーが訪れたところにはどこでもGYCB製品の市場が広がっているのがわかります。

 

 

世界が認めた功績

ゲーリーが世界の釣り界に与えた多大なる影響や数多くの革新的なルアー、そして世界中のアングラーに釣りを指導した功績は、2009年8月テネシー州ナッシュビルでアウトドアの殿堂とも言うべき「Garry Masons Legends of the Outdoors (www.legendsoftheoutdoors.com)」という栄誉ある賞を受賞し、世界に認められました。

 

 

ゲーリーヤマモト伝説は続く

伝説は今日でもいろいろな形で続いています。ゲーリーはソルトウォーターでますます楽しい時間を過ごし、その為の新しい製品のデザインのアイデアを創り出しています。ウォールアイフィッシング、クラッピーフィッシング(ゲーリーはクラッピーとブルーギルを食べるために釣るのが大好きです)今日ではヨーロッパの海釣りに非常に興味を持っています。全国的なFLWツアーや、いつ・どこでもあらゆるチャンスに釣りをするでしょう。

今もなおゲーリーヤマモト伝説は終わっていません。彼が釣りをする限り、新しいフィッシングトリップから伝説は始まります。

そしてゲーリーが釣りをする時はいつでも、どこでも、どんな魚でも、彼が出会うあらゆる新しい釣りに対して常に最高のベイトをデザインします。何よりも彼は、自分の成功のためだけでなく、世界中のアングラーと共有するために、GYCB製品をどうしたらうまく使えるかを考えます。それはいつまでも変わりません。

それがゲーリーヤマモト伝説です。

 

ゲーリーヤマモト